フランスの世俗主義なるもの

あらゆるドグマ(信条)に対して不敬を表すること。それは世俗主義と自由に依って立つ国にとって、神聖な行為である。

自由を守る固い決意

という文章を見て、強烈な違和感を感じた。

歴史的にそれが「神聖な行為」とされたのはおそらく社会的に圧倒的な強者であった教会権力や貴族権力、資本に対してのものであったからであって、対象を「あらゆるものだ」と考えるのならば全くもって「神聖」などではないと感じた。

つまりその新聞の発行地がイスラム国の支配地域であれば歴史的な意味での「神聖な行為」になるが、それをフランスでやっても神聖などとは言えないように思える。


さらにその方法では「戦える」かもしれないが「和解をもたらす」事はできない。*1


普通に考えて「全てに不敬を表する」のではなく「全てに敬意を表する」のが賞賛されるべき立場だろう。

*1:高度な風刺で自省を促すことは可能かもしれないが、そのためには「相手への基本的な敬意を忘れないこと」が重要だろう。