質問力

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20071205/142438/とかを見て、義務教育においてもっとも必要なものは「問題解決能力」の一環としての「質問能力」の育成ではないかと思った。
今の世の中、問題を全て自分の手で解決する必要はない。だったら、どれだけ効率的に他の人の力を借りられるかというのが一番重要なはずだ。
とりあえず基本として思いついたのは『「普通」という単語の使用禁止』。
仕事で他の人の会話を聞いていて一番いらいらするのは質問をする人がやたらと「普通の何々」という言葉を使うこと。問題を解決するにはその原因を探らなければならないのに、いくら質問しても頑として「普通」と言い続けたりされるといい加減切れそうになる。
不具合に関する質問をWebで見てもよく見るのは「環境を書かないと分からない」とかそういう切り返し。質問する側で「環境に依存しないところまで絞り込む」だけの能力があるのであればよいが、そうなっていないことがほとんど。これも「普通」だと思いこんでいるから書いてもいないし、調べてもいないのだろう。
『ライトついてますか』を読んだときに重要なトピックだと感じたことで、「それは誰の問題か」というのがある。解決のために誰の手を動かすとしても、その問題を本当に解決したいのは誰かという点を意識していなければならないという話だった。その点を考えれば、「問題を持ち込んでくる人」が「それを自分の問題である」と意識していないか「誰か別の人の問題である」と考えているのが問題なのだろう。
ちなみに、Webで『質問力』を検索すると、営業トークとか要件定義の話しか引っかかってこない(笑)。つまり、「問題を解決する側が相手から適切な質問を引っ張り出す方法」しか考えられておらず、「質問をする側が自発的によい質問をすること」が考えられていないようだ。まさに「誰の問題か」が間違っているような気もする。*1

*1:まぁ、「どっちの数の方が少ないか」を考えると、圧倒的に少ない解決側の方を鍛えた方が手っ取り早いし、解決側の商売としてそっちの方が高く売れる。全体を底上げするのは10年の計か100年の計なのかも。