鶏と卵

読み返すと気になるところが。

 日本映画制作者連盟事務局の華頂尚隆次長は「文化振興を語る上で、ソフトとハードを鶏と卵に例えることが多いが、文化の場合は作品が先に生まれ、複製機器が後で普及する。文化の担い手による作品がまずある。始めに文化ありき、だ」と強調する。

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えーっと、この方は本当に「鶏が先か卵が先か」という『問題』の意味が分かっているのでしょうか。

作品が存在しなければそれを格納したソフトが存在しないのは確かでしょうが、ハードが存在しなくてもソフトが存在するかというとそれはそうではない。
存在すると主張するのであれば、その方にはVHD*1とかホログラフィックメモリ*2でいま作品を販売してもらいたい。
ソフトをうって利益を出すためには、ハード側も整っていなければならないというのが問題です。

さらに哲学的に考えると、そもそも「作品」が「作品」たる要件として「読者」を必要とすると考えると、「読者」にそれを伝える手段なしに「作品」は存在し得ない。

鶏と卵に例えるとはそういうことのはずですが。

「ソフト」ではなく「作品」を作る立場なら、「ソフト」しか作っていない人たちが「ハード」しか作っていない人たちと揉めるのは不利益にしかならないことを理解してもらいたいもの。
「はじめに文化ありき」はハードだけではなくソフトに対しても言うべきです。

日本映画製作者連盟*3に参加しているのは所詮は映画会社。つまり「作品」ではなく「ソフト」しか考えられていないのではないでしょうか。

だとすると、「ソフトが先、ハードはあと」というのは「映画館どころか映写機すら一つもなくても映画の興行収入はちゃんと上げられる」ということなのでしょうか。

本来この台詞を言っていいのは監督や役者であって、その人達なら「フィルムがないなら作品は芝居に仕立てる」「小屋がなければ河原で演る」といえるのだと思うのですが。

文化について言えば、CDもDVDもフィルムも本も文化そのものではない「文化の媒体」で、むしろ「ハード」に属するものではないでしょうか。

・・・読み返してみるとかなり用語が混乱している。

「文化」が一番大事というなら、何が「文化」で何がそれ以外なのかをちゃんと考える必要がある。たとえば音楽についてそれを考えると、CDも音楽ファイルも、CDプレイヤーもシリコンプレイヤーも、全部等しく『それ以外』の側に属していることを自覚して欲しい。

ということが書きたかったわけです。

*1:LDと競争して死んだ

*2:さらに次の世代の記録方法?

*3:検索すると漢字はこちらになっている