コメント欄がなかったので

とあるブログで引用されている内容に気になる記述があったのですが、

  • 引用元を見たら記事ではなくコメントだった
  • 引用されているブログにコメント欄がなかった

のでトラックバックで。(といいつつ書きかけなのでまだ張ってないけど。とおもったら、はてな内なので勝手に張られていた。)
実際のところ、記述が少ないのでどういう意味で引用しているのか分からないところが。引用文が「間違ったプログラム」ということだとすると間違っていないのですが。

はてなグループ

引用文にラグランジュの未定係数法がなんとか・・・と書かれていますが、結論と未定係数法は関係がありません。何の関係もない内容を挿入して相手を攪乱する典型的な詭弁論法に見えます。そもそも、この程度なら中学・高校程度で習う線形計画法の範囲*1でしょう。
詭弁の種は最初の二つの数式で最後に出てくる結果の定数\lambdaに添え字がついていないこと。
結論に必要なのは単に、投入生産力の増加に対する生産物の増加量が二つの産業で全く等しい(一つめの数式と二つめの数式で最後の項目が同じ値になる)という前提に過ぎません。つまり、どちらの産業に一人分の労働力を追加しても得られる生産物の増加量は同じ、ということです。この場合、常識で考えても「どちらに一人追加しても結果は同じ」になります。詭弁っぽくあえて数式にする(笑)と、
\frac{dP_1}{dL_1} = \frac{dP_2}{dL_2}=\lambda, L_1 + L_2 = L とするとき総生産量P = P_1+P_2Lに対する変化量は
\frac{dP}{dL} = \frac{d(P_1 + P_2)}{dL} = \frac{dP_1}{dL} + \frac{dP_2}{dL} = \frac{dP_1}{dL_1}\frac{dL_1}{dL} + \frac{dP_2}{dL_2}\frac{dL_2}{dL} \\ = \lambda\frac{dL_1}{dL} + \lambda\frac{dL_2}{dL} = \lambda \frac{d(L_1+L_2)}{dL} = \lambda \frac{dL}{dL} = \lambda

ちなみに引用文の一つめと二つめの数式ですが、これらの等号が成り立つには「生産物と生産力が一次の相関関係にある(P=\lambda L+a であらわせる。但し\lambda,aは定数またはLと独立な変数とする。)」必要があります。労働力をを一人分投入したら生産物は一人分増える、ということです。実際の社会を考えれば分かるように、このモデルはあまり役に立ちません。個人的には「人数が非常に少ないとき」「人数が非常に多いとき」に破綻する傾向があるように思われます。技術革新、業務改善、生産性の向上というのはPの関数をどれだけ都合のいいものに変更できるかという問題になります。Lに関わる部分も、Lに関わらない部分も大きく関わります(設備コストとか)。
とはいえ、もっとも単純なモデルの例としてはこのような一次の関係も仮定できます。しかし、「異なる二つのP」でこの\lambdaが同じになるのはおかしいので本来なら\lambda_1,\lambda_2となるはずです。この場合、式はまとまらず、どちらにどれだけ入れるかで総生産物の変化量が変わってきます。
一応変数を減らすためにL_1にまとめることにすると\frac{dP_i}{dL}を置き換えるところから式が変わり、
 = \lambda_1\frac{dL_1}{dL} + \lambda_2\frac{dL_2}{dL} = \frac{d(\lambda_1L_1+\lambda_2L_2)}{dL} = \frac{d(\lambda_2L+(\lambda_1-\lambda_2)L_1)}{dL}\\ = \lambda_2 +(\lambda_1-\lambda_2)\frac{dL_1}{dL}
まぁあたりまえですが、「\lambda_iの値が大きい方に全部」入れると最大になるという結果です。

というわけで、引用文の奇妙な点についてのお話はここまで。以下余談です。
まず、前提として労働力の計測単位という問題があります。誰か(の一時間)と別の誰か(の一時間)が生産への寄与において同等か?という問題です。これらが同等であるという前提がなければそもそも計算式を立てることが出来ません。「横並びの是非」を論じる場合、「この前提を認めるか否か」は重要な問題のはずです。「個人の能力を尊重する」のであれば、この前提を認めるのは難しいでしょう。ですが政策決定など大局的に考える場合には、計算モデルを作成することが可能です。

生産物の計測単位も重要です。こちらについては逆に考えた場合、「生産物と生産力が常に同じ数式で表しうるような生産物の計測単位」があれば、この議論が成り立つことになります。この場合、「市場主義の完全否定(値段は常に生産過程によって決まるので)」「技術革新による生産性の向上という概念の完全否定(生産性が変わると同じ数式が成り立たなくなるので)」が必要です。

個人的には「市場主義の完全否定」は問題ありませんが、「生産性の向上の完全否定」はさすがに肯定できません(笑)。比較可能な生産物について常に同じレベルの技術を使用するとすれば技術の変更も可能ですが・・・どちらにしても恐ろしいほどの計画経済&管理社会が必要ですね。(ついでに、公平無私な研究機関が。)理想的社会主義計画経済の姿でしょうか。

そういえば、プログラム開発の世界では「人月」という魔法の単位が存在しますねぇ(笑)。

*1:ゆとり教育」において習うのかどうかは定かではない。