電子ブックの中間フォーマットについて
【電子書籍の(なかなか)明けない夜明け】 第3回 ナゾの「中間(交換)フォーマット」 - INTERNET Watch Watch
実際のところ、現在EPUBで電子書籍を作っている海外出版社でさえ、製作途中のデータはEPUBとは違う形式を使っているだろう。
ワンソース・マルチユースという言葉があるのだが、EPUBは閲覧用のフォーマットである時点で「ソース」ではなく「ユース」なのである。EPUBのデータを「ソース」にして作ることができるのは、現在あるものよりも低機能な文書だけになる。存在しないデータを付け加えることはできないからだ。*1
現在存在するEPUBと、現在策定中の「日本語対応を強化したEPUB(以下日本語EPUB)」を考えてみればすぐに分かる。もし「現在のEPUB」にあわせて電子書籍データを作っていて、更にそれがデータのすべてであった場合、「日本語EPUB」にあわせたデータを用意することはできない。しかし、「もっと多くのデータを含んだ中間形式」から「現在のEPUB」データを作ったのであれば、「日本語EPUB」に対応できるかどうかは「中間形式」の内容次第ということになる。
この点だけ見れば「日本語EPUB」のレベルで作ればいいと思うかもしれないが、必ずその先が来るのが世の常である。
例えば、kindleで大学の授業ができるか?というトライアルではある問題にぶつかったという。「XXXという書籍のYYYページ」がkindleでは全く分からなかったのである。これは「kindleで通用する別の指し示し方」をすればよいというようなものではない。専門書で他の専門書の記述箇所を指し示すのはよくあることなのである。それが何処をさしているのか分からないというのは、生徒にとっては悪夢だろう。
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これを解決するために、将来の世界では「実物の本を模倣した形態」の電子ブックが作られるかもしれない。例えば、「VRで目の前に本があるように見える」というのはSFやアニメではおなじみの光景だ。そこまでいかなくとも、十分な画面解像度があれば原本の表示を再現するニーズが出てくるだろう。これを適切に再現するためには「ページネーションの情報」や「ラインブレイクの情報*2」が必要になるだろう。はたして、そこまで記したデータが残っているか?というのはまた別の問題であるが。
「日本で中間フォーマットを統一しましょう」というのは、出版社間(あるいは出版社から電子書店)でデータを受け渡すときの標準を決めようと言うことで、これはつまり「出版社=電子書店という構造ではなくもっとオープンに運営できるようにしましょう」ということである。(各書店は各出版社から受け取った中間フォーマットを自社開発のプログラムで処理して使用する。一種類のデータしか来ないなら、プログラムはひとつで済む。)
各書店での使い回しがうまくいくとすれば、海外の既存事例などよりずっと先進的な試みになるだろう。
ここで受け渡すのが最終フォーマット(EPUB等)では、書店が独自の機能を追加して特徴を出すといったことができなくなる。それよりも豊富なデータが含まれていれば、それを利用することで各書店が競争力を得ることができる。
それを可能にする中間フォーマットを公的機関が入り込んでお膳立てしようというのは、国内で系列争いなどの無駄なぶつかり合いをしている余力はないという判断だろう。
ちなみに、「規格化された中間フォーマット」は出版社にとっては「ユース」になるので、出版社社内では更に上位のフォーマットが「ソース」として使用されることになるのは自明のことである。
そもそもそれだからこそ「中間」フォーマットという名前なのだろうが。
更にいえば、日本の各社が「世界標準を無視して」色々やっているように見えるのはそもそも「世界標準が現状日本語に対応していない」という事実と、「今すぐに始めないと事業に乗り遅れる」という事実を組み合わせると実に当たり前と考えられる。
例えば、シャープが自社で実績のある形式を元にして電子書籍事業をするのは、その方がスタートアップを早くできるからだろう。既に実績があるので、急いで初めても文書の規格に致命的欠陥がないことが推定できるからだ。
個人的には今までの電子書籍端末と違って「ソフトウェア駆動的」な要素が多いということは、「フォーマットが変更された」などの事態でも柔軟に対応が可能なはずで、大きな失敗は起こりにくい*3と考えられる。GALAPAGOSはベースがAndroidになっている。いくらでも方向の修正はできるだろう。kindleは知らないが、nookもAndroidベースだそうだ。
この状況下では「フォーマットが世界標準じゃないから失敗する」ということはあり得ないのである。なぜなら今の端末では「じゃあ、EPUB用のビュアーをインストールします」とか、「GALAPAGOS用のビュアーをインストールします」ということで事足りるからだ。iPadなどで「一書店一アプリ」な状態になっているのと同じ事だ。
それならば、顧客の獲得は「提供できる体験」次第ということになる。問題になるのは「書籍の量と種類」と「書籍の提示の仕方」ということになるだろう。「提示の仕方」という点で、データのすべてをEPUBの範囲に限定することは不可能であるのは既に書いたとおりだ。
ちなみに、そもそも「世界標準」とはなんであろうか?
AmazonもAppleもB&Nも、DRM付きのファイルを使用しているはずである。ということは、結局それらの間にはひとつも互換性がない。EPUBが「電子書籍の世界標準」などというのはひょっとして大きな勘違いなのではないだろうか。少なくとも「商業ベース」においては。
DRMを外すとEPUB形式、などというのは、ビュアーを書くプログラマ以外にはなんのメリットもない気がする。
(Googleが著作権切れの書籍をEPUB形式で配布していたはずなので、その意味では標準に近いかもしれない。)
もし、世の中の電子書籍がDRMフリーで流通するようになったら?
そのときは各ショップに「EPUB形式でも提供する」ように要求すればいいだろう。おそらく、その時代に使われているのはEPUBではないのではないかと思われるが。