蒟蒻畑と訴訟

http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20090311#p3を読んだ。


たまにニュースについているコメントとかで「虐待」とか「新しい詐欺」とか書かれているのを見るとさすがに「非表示ユーザーにする*1」とかを選択したくなるのではあるが、やはりあの訴訟自体を黙って放っておくことはできない気がする。



この問題の最初に国側が「製造側に問題がある」と言い出したこともあって、それに反対する側の意見が出続けていないとその方向で議論が固定されそれに従った結果が出てしまう事への懸念がある。一般に流れるニュースではマンナンライフ側を擁護する主張を見たことがなく、原告側の主張のみが書かれている。*2


もし親側の敗訴が当たり前に決まっているとしても、司法制度の維持にかかるコストの問題がある。*3司法制度には個人の感情的安定のために裁判を行っている余裕はないだろうし、元々そのためのものでもないだろう。


事業に関わるリスクとしても、あれで当たり前に訴訟を起こされるということを認めれば多大な影響があるだろう。マンナンライフ側は普通に考えられる以上の対策を講じていたように見えるからだ。にもかかわらず巨額の損害賠償訴訟を起こされるのでは、PL法よりもよほど大問題だろう。*4


訴訟でいわれていた「菓子コーナーに置いてあるのだから…」というような言説を広めてしまう危険性があるという問題*5もある。無理な訴訟を成り立たせるための無理な理屈なのだろうが、その無理がさらに同種の事故を誘発させるようでは意味がないどころか有害ということになる。



総じて、個人の心の安定の問題を司法制度におしかぶせてしまおうことを認めるのには無理があるのではないかと思う。

リンク先の最後にも出てくるように、それは宗教とかもっとプライベートな問題として解決すべき何だろうと思う。

*1:操作がやたらと簡単になってからは非表示にしてしまいたくなることが結構あるので、なるべく自重するようにしている。

*2:とうぜん、マンナンライフ側が意見を言うことを自重しているからだろう。

*3:コスト不足で司法制度に係る負担が大きいことは、裁判官の勤務実態を報じたニュースを見れば分かる。裁判官が過労で自殺したりする事件が一時連続して社会問題化した。

*4:(追記)よく見ると、PL法で裁判を起こしたように見えた。だとしたら、使用上の注意を守らなかったというのに、一体どうしてそんな主張になるのかが分からない…。

*5:もしそんな言説を信じる人が出てきたとしたら、事故を減らすどころか誘発してしまうのは確実だ。